早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第六十六回 赤瀬川さんのイラスト

コンチュラのイラスト(1993) コンチュラのイラスト(1993)

赤瀬川さんに初めて売ったカメラが、すごく珍しいステレオカメラのコンチュラだったって話をしたでしょ。それを赤瀬川さんはイラストにしてカメラ雑誌に載せていたんだよね。コンチュラのイラストが出たのは日本カメラ1993年7月号だから、その年の春の松屋銀座中古カメラ市で赤瀬川さんと出会っていたってことだね。

アサヒカメラも日本カメラもカメラ毎日も、カメラ雑誌そのものが今は無くなっちゃったけど赤瀬川さんは細かい鉛筆画でカメラのイラストを描いて、そのカメラで撮った写真や文章と一緒にいろんな雑誌に載せてたんだよね。あれはかなり大変だったみたいよ。カメラの絵を、ほぼまる1日描き続けるんだって。それはもう、すんごい労力だよ。

カメラに貼ってある革シボを鉛筆画で描かせたら赤瀬川さんの右に出る人はいなかったって? そうかもしれない。うちのお客さんもカメラ雑誌に載っている赤瀬川さんの文章とイラストが大好きで、その中にコレクターのKさんっていう人がいたの。それで自分の持っているライカM3を描いて欲しいって思っちゃって、俺に頼んできたの。

その頃はもう赤瀬川さんと仲良くなってるから「すいませんけど自分のライカM3を描いてくれたら家宝にしますんで、30万円くらいなら普通に出しますのでどうかお願いできませんかってお客さんに頼まれてまして」って言ったの。そうしたら赤瀬川さんがなんて答えたと思う? 「申し訳ないけれど、お金じゃないんですよ」ってハッキリと断られたの。

立派ですよ。俺なんかだったら「普通はそんなことしないんですけどね、今回だけは特別に」とかなんとか言っちゃってお金に目がくらんで受けちゃうかもしれないもの。やっぱりエライ人ですよ。

イラストだけじゃなくて小説の「コンチュラ物語」も評判が良かったの。世界レベルのコレクターのNやんがコンチュラ物語に感激しちゃってね、自分の持ってるすっごい珍しいフランスのステレオカメラを赤瀬川さんにあげてくれっていうのよ。ものすごく珍しいやつで普通に100万円ぐらいするやつをあげてくれって。

で、条件はなんですかって聞いたらコンチュラ物語みたいなのをまた書いてくれって言ったの。だけど、それは無視してカメラだけあげちゃったの。だってそれは文章を書く作家に対して失礼でしょ。ああ書けこう書けは言えないよ。だからNやんには分かったよって言いながらあげたの。カメラをもらった赤瀬川さんは、ものすごく喜んでたよ。