早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第六十二回 ウィーンのペーター

ウィーンのライカショップで(1999) ウィーンのライカショップで(1999)

ウィーンにあるライカショップって、今はライカカメラ社のものになっちゃったけど、もともとペーターが作った店なの。以前と店構えは同じだけど、今はレアなモデルですごい値段のライカばっかりがボンボンボン!って置いてあってOH!って感じになっちゃったね。

ペーターが最初にライカショップを出したのはカイザーシュトラッセだったんだけど、そのあとすぐにヴェストバーンシュトラッセのビルに引っ越したんだよ。この写真は引っ越した後の店だよ。ウィーン西駅近くのヴェストバーンシュトラッセはいまジョーの店も引っ越してきたし、フランツの店もあるし、カメラ屋が固まってる感じだね。

ペーターとの付き合いは長いよね。ライカショップを開店する時に、しょっちゅう中古のカメラを買っていたエリザベスソイカっていうウィーンのカメラ店の番頭だったハンネスが引き抜かれて、今度こういうところに勤めることになったから来てくれって言われたのよ。

要するに日本人のカメラ屋が、年がら年中ハンネスのところに来てカメラを買っていくと。で、そいつはカメラに詳しくて修理もできてしまうすごい人だ。この日本のカメラ屋は普通のカメラ屋じゃないっていうのをハンネスがペーターに話をしていたのね。だから会いたがっていたらしいんだよ。ペーターはもともと広告写真の仕事をしていて、道楽でライカのコレクションをしていたんだよ。それがある日突然、カメラ屋を始めちゃったの。

しばらくしてヴェストバーンシュトラッセの店の裏の3階建の建物を買ってペーターは住むようになって、3階の屋上には広―い庭を作ったの。親しくなった人を家にあげるのが好きでね、そうやって家にあげてくれるような日本人の知り合いの最初なの。

彼の最初の奥さんのビクトリアは、日本に来た時に真夏に船橋の屋内スキー場のザウスにスキーしに行ったんだよね。夏なのにスキー?って感じだったけど、しょうがないから付き合いで行きましたよ。どうやら何かで調べたら東京では夏でもスキーができるところがあるっていうんだよ。まぁ、確かにできるけどね。そのあとビクトリアは富士山まで登山しに行ったの。さすがにそれには付き合わなかったけどね。

ペーターは日本に来る時にウチを頼りにしてるの。歳はうちの弟と同じだから、まあ弟みたいなもんかな。性格も弟にすごくよく似てるんだよね。ペーターも「お兄ちゃん、来ちゃったよ!」って感覚で俺のところに来るの。何かっていうと相談してくるのね。そういう関係があったからライカM6もペーターの口利きで上手く作れたの。知らない? M6TTLのICSミレニアムモデル。1台だけ売らずに持っているから見せてあげるよ。