早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第五十四回 1200万ユーロのライカ

ライカのオークションカタログ(2022) ライカのオークションカタログ(2022)

このあいだのオークションで出たライカの落札価格がすごかったよね。1200万ユーロだから21億6千万円。市販される前のモデルだからゼロ号ライカって呼ばれているものなんだけど、番号はついてるの。ゼロ号ライカって現存しているのは29台しかないんだけど、105番はオスカー・バルナックさんの所有物で、ファインダーの上に本人の名前が彫ってある。

そのライカをジェームス何とかさんって人が持っていたんだけど死んじゃったか何かで、それでオークションに出てきたの。オークションハウスの方もたぶん彼のところにあることを知っていて、出品しないかってやっていたんだろうね。何しろ大変なもんだよね。普通のカメラじゃなくてオスカー・バルナックさんのカメラだから。いわゆるライカの始祖でしょ、最初のライカを設計した人ですから。そりゃあもう大変なもんですよ。

あれは21億6千万円だけど、他のゼロ号ライカが21億円になるかっていうとならない。あれだけだと思う。俺も何でだろうと思ったら、びっくりだよ。全然興味なかったから。ゼロ号ライカに触ったことあるかって? ありますよ。知らないの? 半蔵門のカメラ博物館にあるよ。触れせてくれるかどうかは知らないよ。あそこにあるのは河原さんが持っていたの。河原写真機店って日本で最初にライカを正規で売って代理店として認められた大阪の店ですよ。シュミットとかライカを扱う所はあったけど、実際は河原さんが最初なの。

だから、しばらくしてから00000番のプレゼンテーションモデルを河原さんはライツからもらっているの。ゼロ号ライカは後から自分で手に入れたみたい。実はもう1台日本にゼロ号ライカがあったの。日本で一番のカメラコレクターのおじさんが持ってたんだよね。そのおじさんが死ぬ前にフィンランドかスウェーデンのカメラ博物館がコレクションを買いに来て、何億円かで全部買い取ってくれたの。そのお金で何をしたと思う? 日本で千利休の茶碗を個人で持っている唯一人のコレクターのところに、買いに行ったのよ。

そうしたらいわれた金額に1億6千万円足らなかったんだって。だからその分も足して買い取った千利休の茶碗を、博物館に寄付したの。有名な話だよ。その人はカメラもすごいけどクルマもすごかったらしいよ。だからその人が持っていたゼロ号ライカは北欧に行っちゃったわけ。全部で29台あるゼロ号ライカのうち、2台が日本にあった。残り27台もどこにあって誰が持っているか全部わかっていて、わからないのは1台もないんだよ。