早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第五十三回 ニコンの後藤さんとCAPA

月刊CAPA「哲郎の部屋」(2022) 月刊CAPA「哲郎の部屋」(2022)

10月号のCAPAでね、記事が出たの。ニコンの後藤さんがやっている「哲郎の部屋」っていうのでお呼びがかかったので、いろんなカメラを持って行きましたよ。後藤さんはニコンでカメラを作ってきた人だから、ニコンのカメラの話をしたらいいんですか?って聞いたら、そうじゃなかったの。後藤さんは聞き役で、僕のこと、早田カメラのことを喋ってくれってことだったのね。盛り沢山な内容なので、機会があれば雑誌を見てください。

後藤さんとはしばらく会っていなかったんだけど、知り合ったのは随分と前のことですよ。初めて会ったのはロンドンの日本食レストランNOTO(第四十一回 高木さんのジャワカレー参照)で紹介されたの。こっちはカメラを買いに行っていたんだけど、後藤さんもしょっちゅうロンドンに来ていたみたい。さすがにカメラ市には一緒に行ってないですよ。あっちは別の仕事があるんだから。20何年か前から、全然印象は変わっていないの。面白い人だよね。

後藤さんと話をして一番印象に残っているのはね、ニコレックスとニコンオート35のこと。「どうしてあんなカメラを作ったんですかね?」って聞いたら、「その話はしたくないので勘弁してください」って。あのカメラ、ニコンがマミヤに作らせたんだよね。レンズシャッター式一眼レフにニコレックスっていうのがあって、その後ニコレックスズームになって、ニコンオート35になるの。ニコンとマミヤの関係って僕はよく知らないけれど、レンズシャッターのカメラをニコンは作っていなかったからマミヤに任せたのかもね。後藤さんが日本光学に入る10年近く前のカメラですよ。

どれも最初のうちは動くの。でも5年もすると動かなくなる。ニコンオート35で最悪なのは、レンズシャッターの一眼レフで、しかもクイックリターンミラーなのよ。いわばニコンが作らせたウルトラマチック。あの作り方でカメラを設計しちゃダメっていう代表選手ですよ。なにしろシャッターをセットする部品がものすごく細いの。細い棒であるにもかかわらず、真ん中に穴が開けてある。何であんな事をマミヤはしたんだろうと思うね。

マーシャルプレスっていう変なカメラがあるんだけれど、あれはボディがマミヤでレンズがニッコールなのよ。だから、マミヤ光機の創業者の間宮精一さんって、物凄い力があったんだね。僕がコニカにいたとき、何度か間宮さんにフィルムを届けに行きましたよ。三田か大門あたりの木造のすごい建物に間宮さんの研究所があってね、そこに持って行かされたの。コニカのフィルムだけじゃなくてフジのフィルムも持ってこいって言われて、しょうがないから買って納めたりしましたよ。フィルム持ってきました!って行くとね「あ、ありがとね。そこに置いときな」とか言ってくれてね。ニコンオート35は残念なカメラだったけど、間宮さんはいい人でしたよ。