早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第二十七回 鳥山さんのこと

鳥山さん(1962) 鳥山さん(1962)

これがコニカ・ファミリードライブで三菱500を貸してもらって撮影に出かけた親父と渡辺さんの写真を撮った鳥山さん。手にしているカメラはセミイコンタか何かだね。もしかしたらセミパールかもしれないね。戦前のセミパール。鳥山さんは写真を撮られるのは好きじゃなかったんだけど、これは親父が撮ったの。意外とうまいんだよ。

鳥山さんはね、東京の下町で大きな工場を持っている社長さんだったの。でもね、奥さんが病気になっちゃって、奥さんのために工場を売って栃木県に引っ込んでそこで奥さんを療養させて、死ぬまで看取ったんだよ。鳥山さんは奥さんが病気になるまでは現役バリバリだったから、すごいカメラをたくさん買ってくれたよ。コンタックスなんかも持ってたね。それで、カメラを買うだけじゃなくて写真もうまかった。

中学生くらいの頃に鳥山さんが写真撮りに行くっていうんで、くっついて行ったことがあるの。コンタックスに135ミリのF3.5のゾナーをつけて写真を撮るっていうことでね、ファインダーもつけてね、それでちょっと行ってみようか観音さまにって。結果的には写真は撮ってるんですよ。だけど、鳥山さんは2時間とか3時間とかずーっと浅草寺の境内にいるわけ。本当にずーっといつまでもいるんだよ。こっちは写真撮るところを見ようとしてるのに、なかなかシャッター切らないの。いい加減飽きちゃってもう2度とくるもんかと思っていたんだけど、写真を撮るところを見にいった日からしばらくして店のウインドウに飾ってあった写真がすごかったね。それが鳥山さんが観音様のところで撮った鳩の写真なの。すっごい写真。鳩がフゥわっとね。もうすごい写真ですよ。めちゃくちゃすごい写真。

ウチの親父がこれはすごいって感心してプリントして飾ってたの。鳥山さんは元々うちのお客さんなんだけど、ものすごく写真の上手なおじさんで、とにかくすごいの。上手い。それでね、鳥山さんがいくつか撮った写真をうちの親父がすっとぼけてアサカメのコンテストに応募しちゃったんだよね、早田清二の名前で。そしたら特選を取っちゃったの。その後しばらくしてアサカメの編集部から手紙が来てさ「今回は見逃すけど、あなたはカメラ屋の主人でしょ。関係者になるからまずいでしょ」と釘を刺されたんだよね。今回は特別だからいいですけど、次からは絶対に応募しないで下さいって手紙がきちゃったの(笑)。事業者がアマチュアの写真コンテストに出しちゃまずい。というより前に、お客さんの写真で応募しちゃまずいよね。アウトです(笑)。

でもね、鳥山さんは自分の写真がどう使われようと気にしないんだよね。自分がいい写真を撮ってるとかって意識はなくて、ただ写真を撮ってるだけなのよ。まったく欲のない人なの。鳥山さんは、本当にいい人だった。