早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第二十六回 さくらドライブ

三菱500でドライブ (1961) 三菱500でドライブ (1961)

これ、いい写真だよね。クルマの中の鳥打ち帽が渡辺さん。コート姿で襟を立てているのはウチの親父だよ。何だか雰囲気が昔の映画に出てくる刑事みたいだって? いや、親父の名前はケイジじゃなくてセイジです。手にしているカメラが何なのかというと、多分コニカの一眼レフ、コニカFSだと思うよ。

クルマに「さくらフイルム」って書いてあるでしょ。これはね、コニカとかさくらフィルムを出していた小西六が確かコニカS2か何かの発売を記念して、三菱500を全国で100台ほど揃えて貸し出してたの。これで写真を撮りに好きなところにドライブしに行ってくださいっていう、コニカ・ファミリードライブという販売促進のキャンペーンってやつね。このクルマは100台用意したうちの10号車だね。無料の貸し出しは昭和36年の7月から始まっていたようだけど、路肩に雪が残ってるし、車も溶けた雪の泥ハネでずいぶん汚れているから、その年の冬なんじゃないかな。親父は終戦直後にはヒロポン中毒だったんだけど、それを抜くのに篭ったことのある猿ヶ京温泉のあたりか、そこから上がって新潟の石廊崎に突き抜ける手前あたりだと思う。

俺はまだ小学生だったから連れて行ってもらえなかったけど、仲のいいお客さんと出かけて行ったんだね。クルマの貸し出し条件としては、まず普通自動車免許を持っていること。それで、ドライブした先の写真と、三菱500を背景に入れた写真の2点を小西六に提出すればOK。この時の別のカットで宿の部屋の中でコニカ3型を親父が構えている写真もあるから、やっぱりコニカを持って行ってコニカで撮るのが礼儀ということだったんじゃないかな。渡辺さんは、この時ライカをぶら下げてるけどね(笑)。

ウチの親父は、集めるだけのためにカメラを買いに来ている人の事をあんまり好きじゃなかったんだよ。熱心なコレクターってカメラ屋にとってありがたい存在のはずなんだけど、親父にしてみると、ちゃんと写真を撮らなきゃダメだったんだよね。ろくに写真のことも知らねぇで能書きでも垂れたらもう大変。お前なんか来るんじゃねぇ!って感じで客が怒られたんだよ。だから親父が店にいない方がかえって商売になったの。いると客と喧嘩しちゃうから(笑)。

鳥打ち帽の渡辺さんは税理士さんなの。税理士さんって金回りがいいからさ、よくカメラ買いに来てくれて写真も上手くてね。お客さんだったけど最終的には店のことなんか聞いたりして税金のことなんかも教えてもらったりしてた。それで、この写真を撮ったのが鳥山さん。この人がすごく写真が上手でね、この写真も視線がずれていないでしょ。さすがに上手い。鳥山さんって本当にいい人だったよ。でもさ、一番写真が上手い人って、カメラのこっち側にいるから写真には写らないんだよね。