早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第二十一回 トモちゃんとチャッピー

旧早田カメラの店内にて(1980) 旧早田カメラの店内にて(1980)

この写真は、うちの長女のトモちゃん。後ろでアイスクリームを食べたそうにしてるのがチャッピー。上手な写真だよねぇ。これを撮ったのは私じゃないの。これは間違いなく中田さんだと思う。彼はね、最終的には時事通信社のカメラマンになったんだけど、人間の顔を取らせると天才的に上手かった。

中田さんはお祭りが大好きで、年がら年中写真を撮りに来て、それで浅草界隈をうろうろするのが好きだったの。うちにもついでに寄ってくれるみたいな感じでだんだん仲良しになったんだよね。それで後々ヨーロッパに仕入れに行くのに一緒に連れてってくれってなっちゃって。とにかくすごい酒を飲むんだけど全然酔わない。こっちも調子に乗って飲むともうヘロヘロ。グダグダになっちゃうんだよね。

ハンガリーとか行っても無茶苦茶いい写真を撮ってた。彼は「一番大切なのは人間の目線だ」って言うの。目線を捉えられなきゃカメラマンにはなれないって言ってたよね。ブタペストに一緒に行った時の写真も全部目線を捉えてるんだよ。いい写真だった。モノクロでアサヒカメラに載せようと思ったら途中がモスクワ経由だったのね。で、死ぬほど強いX線を当てられて一番気に入ってる写真にぴー、ぴーって光線が入っていて、もうがっかりして泣きそうな顔してたよ彼は。でも何カットかは雑誌に出てたよ。

中田さんは新卒で入社して以来ずーっと時事通信。本人は務めた時カメラマンになれると思ったわけ。でも、とりあえず会計部に行ってくれと言われたら真面目ですごくきちんとしてる人だから会計部が手放さなくなっちゃったわけよ。結局彼はずーっと会計で、でもカメラマンになる憧れだけは持っていて、自分の写真を撮ってアサヒカメラに応募してたの。それがいわゆるアマチュア写真として認められていて年度賞を3回とってるんですよ。投稿する時は『ビッグアマチュアカメラマン』っていう名前なの。本当はプロのカメラマンになってもおかしくないんだけどね。

それから随分してから会計部から写真部に入れたの。50過ぎてだからすごく遅い時期だったよね。入った時にミノルタと契約して、ロッコールクラブに作品を載せたりしてた。だからやたらミノルタのカメラを持ってた。でもね、もちろん主力はライカのM3とかM4にズミクロンやズミルックスですよ。とはいえアマチュア時代からライツミノルタCLとか一眼レフのSRT101も使っていたから、まぁミノルタとは縁があったんだね。

うちのお客さんは写真を撮るんじゃなくてカメラを集める人しかいなかったから、小さい時から写真を撮るんじゃなくてカメラを集める人しか知らない。そういう感じ。だから中田さんは例外中の例外ですよ。本当に。みんなただ単にカメラ集めるだけだもん。撮った写真を持って来た人なんて中田さんくらいですよ。