早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第十九回 早田カメラ、ICSに入る。

カメラを整備中(1988) カメラを整備中(1988)

この写真を撮った頃に、早田カメラは東京のデパートでやる中古カメラ市を主催しているカメラ屋の団体ICS(輸入カメラ協会)に入るんですよ。ヨーロッパから買ってきたカメラの中には、もちろん初めて直すものもあったよ。特にライカは作られてから1度も修理された経歴のないものが多かったね。ん? そういう意味じゃなくて修理したことのない、知らないカメラが多かったかって? ありましたよ、それは。いっぱい。この写真に写っているフォクトレンダーのVSL-1とかね。まぁ、VSL-1は開けてガッカリ。普通のカメラでペンタックスみたいなものだね。エディクサエレクトロニカとかM42の最後のカメラ、ドイツ製の何とか2000TLってあったでしょ。比較的つるんとした。あれなんかを見たときは感動したよ。

最初にヨーロッパに行ったときはフォクトレンダーばっかりだった。ビトーとか、ビテッサを買って買って買いまくったの。買ってきたカメラは何がどうなっているか分からないから結構壊した。結果的にあとで動くようにするんだけど、そのときはわからなくて結構壊したよ。なんでかって言うとドイツのカメラには頭を使って、経験知を使って直さなければいけないようなカメラはないって思ってたわけよ。今まで修理してきたライカとかのドイツのカメラって、ここを直せばこう動く。その次にここを直せばこうってパターンがあって、やっぱりドイツってすごいなって思ってたの。ところがフォクトレンダーやって、えぇぇ、これって本当にドイツ人が作ったのこれ? みたいな。間違えてクッてドライバーを入れるとパキュン!ってなってバキュンってなってオシマイ。もう、あぁ!みたいな。いわゆる罠だよ。ビテッサなんてまだ可愛い方で、一番すごいのはウルトラマチック。フォクトレンダーはとにかくすごかったね。

要するに日本のカメラ屋さんがヨーロッパやアメリカに仕入れに行ってもフォクトレンダーのカメラに手を出さないのよ。なぜかっていうと、ビテッサなんかでも修理屋さんに出すと「わかんない、直せない」で結局壊れたままになっちゃうんでイヤなわけ。とにかく仕入れてこないでくれ。ウチは直せないよと修理屋に言われるもんだからほとんどのカメラ屋さんはフォクトレンダーのカメラを仕入れてこなかったの。で、俺が仕入れるようになってから、「早田カメラに行けばある!」みたいになって。それはもうすごかったね。