早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第十五回 早田清、フォトバザールに出会う

ミュンヘン(1987) ミュンヘン(1987)

2度目にヨーロッパに行ったのは1986年の暮って話したけど、そうじゃなくて1987年の2月だった。確かJTBのウィーン支局が開設される記念とかで、すごく安い旅行プランが出ていて、それで1人で行ったの。井口先生から「ヨーロッパで商売するなら英語よりドイツ語を喋った方が絶対にいいですよ」って教えられていたから、ドイツ語の勉強は頑張ったね。いくらですって言われた時の勘定の仕方が特殊だから、それだけは忘れないように数詞は必死こいて覚えたの。

それで1人でウィーンに滞在して、ミュンヘンに通ったんですよ。ミュンヘンには大きなカメラ屋でザウターっていうのがあるんだけど、そこに何とか1人で行き着けてね、古めでいい感じのカメラを見つけたんだよね。それとこれとあれも見せてってお願いして出してもらったけれど手持ちのマルクが足りなくて、銀行の場所を店員の女の人に尋ねたら「12時から1時半までは銀行は閉まっているから駅に行きなさい」って言われたんだよ。

それで急いで駅に行って両替して、さあ戻ろう!っていう段になってザウターがどこか分からなくなっちゃったんだよね。だからザウターで出してもらったカメラは結局何も買えなかったんだけど、道に迷っているうちに偶然見つけたのがフォトバザールというカメラ屋だったんですよ。フォトバザールのウィンドウを見た瞬間、もうザウターなんて問題じゃないの。だってザウターに出ている古いカメラはお客の委託品コーナーで、せいぜい50とか100台なんだけど、フォトバザールはウィンドウにある品物全部がクラシックカメラなんだもん。

「お前何を探してるんだ?」って言うからコンテッサがいる、ローライ35がいるってリクエストすると店の下からポンポン出てくるんだよね。要するにウィンドウに飾ってる以外にも沢山カメラがあるの。で、値段を聞くと「これは具合が悪いから安い」「これは綺麗だからいくら」って、やっぱり値段が違うのよ。それで壊れてるやつをすごく安いから「じゃあこれとこれを頂戴」ってチョイスするでしょ。そうしたら「ちょっと待て、お前は壊れたカメラを買っているけれど大丈夫か?」「問題ない、僕は直せるから」「え?お前はカメラの修理ができるのか?日本のカメラも直せるか?」ってなって、こっちはカタコトのドイツ語で「もちろん直せる」って返事したの。そうしたら店の地下から壊れた日本のカメラを出してきて「これを日本に持って行って直してくれ」ってことになったんだよね。