早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第十三回 初めての欧州旅行 その2

成田空港にて(1986) 成田空港にて(1986)

これは初めてヨーロッパに行くのに成田空港で搭乗を待っているときだね。パリのカフェでは井口先生と一緒に旅慣れた雰囲気で写真に写っていたけれど、実は大の飛行機嫌いだったんですよ。あんなものが空を飛ぶこと自体が間違ってる。だから必ず落ちる。そんな怖いものに乗る奴の気が知れないと思ってたの。だから飛行機の中では緊張のあまりずっとお酒を飲んじゃって、パリの空港で出迎えてくれた井口先生の顔を見た途端、ホッとして気持ち悪くなっちゃったのを覚えてます。

そもそもヨーロッパに行こうとしたのはカメラを仕入れようとしていたんじゃなくて、実はカメラ屋をもうやめようと思っていたんだよね。何でかと言うと、その頃は店で扱っているカメラは新品が中心だったの。要するに鉄道忘れ物とかの払い下げがダメになってきたんだよね。出てくるカメラが黒いプラスチックのオートボーイとかばっかりになって、それってメーカーじゃないと修理できないでしょ。だから商売が新品のカメラに移ったんだよね。ヤシカ、オリンパス、ミノルタをメーカーと直接取引であつかって、ヤシカはちょうどSAMURAIが出たところでよく売れたし、オリンパスだとO-productとかね。でも、結局上野にヨドバシカメラが出来ちゃったので、さっぱりカメラが売れなくなっちゃったの。

ヨドバシが上野に来るまでは年間で700台以上、1日に2台は売れていたんだけど、ヨドバシが出た瞬間、1ヶ月に1台か2台になっちゃったの。これはもうアウトでしょ。だってお客さんがみんなヨドバシのライオンカードを持ってるんだもの。もうダメでしょ。まだヨドバシが新宿にある頃は新宿に行くのに電車賃もかかるから『ヨドバシと同じ値段で売ってますよ』って言えば買ってくれたの。でも上野に来ちゃうともう終わりだよね。浅草から上野なんて、目と鼻の先だから。ヨドバシがある以上、ここでカメラ屋やっていても商売にならないからこの際やめちゃおうと思ってた。そこに井口先生が『ちょっと一緒に行きませんか?』って誘ってくれたの。

その頃、家出して来た子を浅草寺の裏で保護した流れで里親をやっていたんだけど、ちょうど区切りがついたのも同時だったんだよね。だからね、ヨーロッパに行ってあれこれ溜まっていたストレスを吐き出して、日本に帰ったら違う商売でもしようと思ってたんですよ。