早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第十二回 初めての欧州旅行 その1

パリのカフェで(1986) パリのカフェで(1986)

もう30年以上も前のことになるけど、これは初めてヨーロッパに行った時の写真です。リラックスして旅慣れた感じがするけど、これが初めてのパリなんですよ。1986年の7月14日に日本を発ったから到着したのはパリ祭が終わった直後で、パリの街中ゴミだらけだったのをよく覚えてます。それで、私の左隣に座っている人が井口先生。

井口先生は気がついたら早田カメラにいた感じで、親父が死んで俺の時代になってもちょこちょこ来てくれていて、カメラの修理をしてあげていたりしてたの。それで先生がヨーロッパに行くと西ドイツのオスラムの小さなフラッシュを買ってきてくれたり、今でも店で動いている音声合成でドイツ語の時報を喋る時計も井口先生が持ってきてくれたものなの。ドイツのカメラが好きっていうよりも面白いカメラが好きな人だった。

戦時中は学徒動員で井口先生は戦地に行ってたんですよ。海軍の航空隊で偵察機の後ろの方で写真を撮っていたから操縦とか射撃はしてない。その飛行機が落っこちて前の方にいた人間は死んじゃったんだけど、井口先生は助かったの。でも墜落した時に歯が全部折れて、それで東京医科歯科大学の友達が、日本で初めてインプラント手術してくれたんだって。同級生だからタダだったらしいよ。

井口先生は東京帝国大学の英文科に入学して、英語は簡単だったから次の言葉を勉強した人なの。世界の言語って大体16種類に分類できて、そこから派生した60ヶ国ぐらいの言葉を喋れた。だからフランスの年寄りにドイツ語で喋りかけたりするんですよ。すると古いフランス人は占領経験があるからドイツ語は理解してる。それで相手はフランス語で返事をしてくるから、またドイツ語で返す。みたいなことをして楽しんでたりしてた。日本では上智大学のコミュニケーション学部新聞学科で教えていて、7月から8月の間はオーストリアのウィーン大学で非常勤講師をしていたの。印刷学、グーテンベルクの研究だったかな。

「いくらかまけてください」ってドイツ語ではこんな言い方をするとか、いろいろ教えてくれた。ドイツ語だけじゃなくて白ソーセージの食べ方とかパンの割り方とか、みんな教わった。本当に面白い先生だったね。初めてのヨーロッパ旅行も、井口先生が誘ってくれたから行ったんですよ。ウィーンにいる井口先生がパリに迎えに来てくれたの。シャルル・ド・ゴール空港に着陸したのは朝の6時すぎだったけど、井口先生はちゃんと待っていてくれていて、あの時は本当にホッとしたのをよく覚えていますよ。この旅行をキッカケにして、ヨーロッパでカメラを仕入れてくるようになったの。でも、最初はそんなつもりでもなかったんだけどね。