早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第五回 超人ハヤタ、登場

早田カメラの店先にて(1954) 早田カメラの店先にて(1954)

この写真は、オヤジの若い頃のもの。早田清治(セイジ)って言います。早田カメラはこの人が始めた店で、浅草のこの場所に早田カメラが店を構えて数年後の1954年頃に撮影されたもの。今は観音様の近くに店があるけど、実はその前に雷門2丁目で商売していたんですよ。その頃にボクは生まれたから、本籍は浅草じゃなくて雷門なんだよね。

雷門では数軒となりに真美堂さんっていう老舗のカメラ屋があったから遠慮してカメラは扱っていなかったけど、双眼鏡とか腕時計なんかを少し並べていたんだって。でもね、その頃の一番の商売はアイスクリームだったの。浅草六区の映画館とか近所の喫茶店のアイスを一手に引き受けていてね。溶けないように塩をまぶした氷の中にアイスを入れて配達するんだけど、喫茶店が『氷が切れた』って言ってきて、やけに氷だけ持っていくなぁ。と思ってたら洗って塩を落とした氷をアイスにまぶして客に出してたんだって。いやんなっちゃうよね。で、何でアイスを売っていたのかと言えばオヤジが千葉に牧場を持っていて、牛を飼っていたんですよ。キッカケは戦時中のことで説明すると長くなるんだけど、ちょっと話が脱線してきたかな?

そもそもオヤジは京都で生まれ育って、10代の早いうちに父親のセイキチさんや兄弟共々一緒に東京に出てきて、和菓子の材料なんかを作る仕事をしてたんですよ。柏餅の葉っぱとか、そんなものだね。で、オヤジだけ16歳で目黒の雅叙園で働きはじめたの。雅叙園って言えば戦前からある名門の結婚式場ですよ。そこでカメラマンのアシスタントをしていたんだよね。そうしているうちに写真の撮り方とかカメラの修理なんかも覚えたらしい。

でね、雅叙園で仕事しながら、いろんな人と仲良くなったんだろうね。どういう訳か琴や三味線、刀剣とかカメラなんかを道具屋や質屋から仕入れて、別の質屋なんかに売ったりしはじめたの。で、あるとき古物の商売をしていることを警察の人に知られてね、『まだ未成年なのにそんな商売してキミは何なんだ!』って咎められて、オヤジは全部のやり取りを記した帳簿を見せたんですよ。それを調べてみたら全部が全部、店から店へと売っていて、相当に目が効かないとできないような仕事っぷりだったのが気に入られたらしいんだよね。そこで特例だけど未成年ながら12種類の古物扱い許可証を警察の人が出してくれたんだって。その人とは仲良くなって、後でまた助けてもらうことになるんですよ。

でね、この写真のとおり身体がしっかりしているでしょ。戦後には、片手間にミドル級のボクサーもしていたんだって子供の頃に聞いたことがありますよ。その頃はミドル級のボクサーの人数が足りないから試合が立て込んでいて、本気で殴り合ったらお互い身体がもたないんで、リングに上がる前に『今日は、おまえの方が勝ちだからな』とか示し合せていたんだって。いい時代ですよ。それにしてもカメラ屋やりながらボクサーもしてるって、ちょっとスゴいよね。