早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第四回 国鉄わすれもの 
遺失物は誰のもの?

国鉄南千住の倉庫にて(1971) 国鉄南千住の倉庫にて(1971)

これはね、入札前の下見をしているところ。この倉庫にあるのは全部わすれものなんですよ。後ろの方にあるのは傘で、ものすごい量なんだよね。ここは国鉄南千住の倉庫で、年に4回持ち主が出てこないまま1年が過ぎた品物が競売にかけられていたんですよ。傘ほどではないけれど、当然カメラのわすれものもあって、昔から親父はここでカメラを仕入れてたの。鏡に向かってライカフレックスで写真を撮っていた、あのカメラもわすれものの山の中にあったもの。しょっちゅうライカがあるわけじゃないけれど、たまに出てくることもあったんだよね。

この写真は、写していないフィルムが入りっぱなしのカメラで親父が撮った後、競売で買い取って現像したんだと思う。正方形だから、たぶんカセット式のインスタマチックのカメラだよね。わすれものカメラは、競売の1年前によく売れていたもの、もしくはよく持ち歩かれていたカメラだから、売れ筋のカメラが何なのかを知るのにも役立ったね。左の写真でせっせと検品しているのが僕ですよ。その後ろで立会い(座ってるけど)してるのが国鉄の人。何度も通っている顔見知りを相手にしてるから、あんまり緊張感はないよね。

右の写真に写っているのは、お袋です。こっちでカメラの型番と状態をチェックして「キヤノネットQL17シャッター粘り」とか口頭で伝えて、それをノートに書き留めているところだね。下見が終わったら、いくらで仕入れたら適切かを考えて1台1台の入札金額を決めていく。それをまとめた合計で入札するので、結構な金額になるんですよ。国鉄わすれものの競売には誰でも参加できて、もちろん他のカメラ屋も来ていたけど、ウチには勝てなかった。というのも、よそだと修理を職人に頼むぶんを差し引いて故障品の値段はすごく低くつけるでしょ。その点こっちは自分で修理すればいいんだから他の店より高くつけられる。親父が入札で買ってきて、僕が修理するというパターンですよ。

カメラの修理は僕が主にやっていたんだけど、実は親父も分かってたと思う。こっちが修理で手詰まりになって悩んでると「ここだよ」とか言ってきてね、それが当たってるの。勘が鋭かったんだよね。でもね、ジャーニーコニカあたりまでは良かったんだけど、オートフォーカスのジャスピンコニカとかキヤノンのオートボーイとか黒いプラスチックのカメラの時代になってしまうと、修理はメーカーに出すしかなくなったので、その辺りからわすれものカメラの仕入れをすることはなくなったんです。