早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第八十一回 中古カメラ修理ロボット忍者群

小説新潮(1995) 小説新潮(1995)

うちの2階は床下が収納になっていて、そこに写真集だとか雑誌なんかがしまってあるの。これは、赤瀬川さんが尾辻克彦っていうペンネームで書いていた小説が載っている雑誌だよ。群像っていうのにうちで買ってくれたカメラをネタにしたコンチュラ物語とかアンスコ物語っていうのが載って、小説新潮では修理人と弟子のことをロボット忍者になぞらえた『中古カメラ修理ロボット忍者群』っていう小説を書いているの。そのモデルになったのが早田カメラです。

小説では弟子の名前が全部F島で、F島1号から6号までいることになってるけど、実際は最初と2番目がたまたまF島だったから1号と2号って呼んでただけ。2号は自転車乗りのいい加減なやつだった。3人目はF島じゃないよ。3号は、ニコンの優秀な技術者でステッパーっていう半導体を作る機械の設計をしていたY田さん。すごく優秀だったんだけど、若くして死んじゃったの。あれはニコンが働かせすぎたんじゃないかって思うよ。

4号は、天体マニアで日食を追っかけてメキシコとか南極とか世界中で写真を撮っているK林君で、5号はY崎絞り。絞りっていってもレンズの中にある絞りじゃなくて、ヘラ絞りのほうの絞りね。要するに本職は金属加工の専門家なんだよ。Y崎絞りは『レンズの修理はできるけど、カメラはごめんなさい、僕はできません』ってチェコのオペマっていうカメラのシャッター幕交換をやってみた後に修理はやめちゃったの。6号がY本精密だよ。射撃でオリンピックに出ようっていうんで自衛隊に入ったんだけど土嚢運びで腰を壊して修理屋になったの。何しろ手先が器用で、細か〜いところまで追い込むから山本精密。この小説が出た時点でいるかいないかってところかな。

7号は、修理家の娘のNちゃん。お父さんが亡くなって、家業を継ぐっていうんで弟子になったんだけど長続きしなかったの。あれ? その前に図書館に出入りする取次の会社を首になって弟子になったN根君がいた。Y本精密とほとんど一緒だけど少し後だから彼が7号だったのを忘れてた。Y本精密に修理のやり方が分からなくなって電話で聞いたら『それはあそこをピュってやって、その隣のところをギュウ〜ってしてからポン!だよ』とか擬態語だけで説明されて泣きそうになってたの。だからNちゃんが8号ってことだね。

この弟子たちの間にも、いろんなのが修理やりたい!教えてくれ〜ってって言ってきて、ラボのN本もそのうちの一人だよ、あいつは修理人にはなれなかったけどね。だから何号とかっていうのじゃない、弟子になれないのも何人もいたの。そのあとしばらくはいなかったんだけど、師匠泣かせの弟子のH木っていうのがいたね。あいつは本当に困ったやつだったよ。最近、H岩君っていう若い人が久しぶりの弟子になって頑張っていますよ。

修理の世界っていうのは『え?これってこうなっているの、えぇ〜!』ってのめり込んでいくとカメラって直せるようになるの。そこまでいく前に『ああ、もうダメだ』ってなっちゃうと、そこで終わるの。だから修理家っていうのは普通の人と全然世界が違うの。『こんな訳ない!』ってグゥ〜っとのめり込めるやつは直せるんだけれど、『ダメじゃん、これ動かないし』ってなると直せない。確かに、そっから先はものすごく大変なのよ。時間とか工賃とか関係なしにのめり込んで『絶対に直すぞぉ〜』って何日も、それこそ1週間かけてもやり続けて『よし!直った!』っていうことに満足するわけよ。それができなければ本物の修理屋じゃないと俺は思うんだよね。