第七十五回 昔のニコンは立派だった
ありし日のニコン101号館(2016)この写真は、解体して新社屋を作る直前のニコン101号館。戦前の建物で空襲でも焼けなかったんだって。戦後に日本光学がカメラを作るようになって、この立派な建物の中でレンジファインダーのニコンS3やSPシリーズとかを作っていて、昭和34年には一眼レフのニコンFを作り始めることになるの。
東京オリンピックのあった昭和39年頃になると、ものすごい安い一眼レフが出てきてね、ペンタックス、ミノルタ、キヤノンの時代になるんですよ。ペンタックスは36500円。それに対してニコンFは56000円だったから高級品だよね。いずれにしても日本の一眼レフは性能が良くて安かったわけ。それで世界中に売れたの。その時点でライカって止まるんですよ。で、ライカは何をしたのかっていうと一生懸命日本の一眼レフに勝とうと思ってライカフレックスをやるんですよ。これが評判がめちゃくちゃ悪かった。あとツァイスのコンタレックス。あれも最悪だったからね。世界で一番高い一眼レフ、殿様カメラと言われたのよ(笑)。45万円もしたんだから。ペンタックス10台買ってもまだ足りない。
だから日本ってすごいんだよ。どうしてそんなに安くできるかっていうと工場で働いている人がほとんど全部女性なの。女子工員が右から左に流れ作業で作っていくと、カメラができちゃったの。それまではカメラっていうのは職人のすごいのがいて、そいつらがちゃんときちんと組まなければカメラって認められないくらいものすごく難しいと思われていたわけよ。それを日本は全部ブワーッと変えて作れるようにしちゃった。これはすごいことだよね。
2000年にニコンS3の復刻版を作ったじゃない。で、結局さ、昔の設計図通りに作ってみたらまったく動かないわけよ。巻き上げも動かないしシャッターも切れない。なんでだろう?って考えても分からなくて昔ニコンでカメラを組み立てていたおばちゃんたち、もうおばあちゃんだよね。その人たちを呼んで、どうやって作っていたの?って聞いたら『アンタ、このまま組んだってダメ! 動くわけないよ』みたいなことになって『ここは削るのよ』って教えてもらったんだって。
でね、しかもヤスリが3種類あるんだよね。粗いのと中位のと細かいの。『粗いのでグッ!とやって中位のでシャッ!とやって、もっと細かいのでピユッ!っとやるといいのよ』みたいな感じですごいのよ。ニコンSPのチタン幕のシャッターをドラムに巻き付けて接着するときにも位置決めが分からない。そうしたら『フイルムのキレカス持ってきて』って言われて、幕のカタチにキレイに切ったフィルムをセロテープでくっつけてピュッ!ってやってたんだって。もう芸術的だったらしいよ。
だからシャッター幕の作業所の下にはフィルムのキレカスが死ぬほどあったんだって。精密機械の作り方じゃないの。俺だって無理だよ。布幕じゃなくてチタン幕は。どうやったのかって思っていたもの。結局はこの位置に貼るっていうことが頭の中に張り付いていて、そこに持っていくのよ。チタン幕は絶対にやり直しが効かないの。剥がそうとしたらシワクチャになっちゃうから。ドラムのどこにシャッター幕の端を置くかは分かったとしても、こっち側にエラがないと持ってこれないわけよ。ぐりぐりやっているとグチャグチャになっちゃうから、ピュッ!ってフィルムの切れ端でやるらしいの。だから昔のニコンの女子工員さんっていうのは立派だったと思うよ。