早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第七十二回 弓道場に通っていたことがある

台東区今戸の弓道場にて(1968) 台東区今戸の弓道場にて(1968)

これはね、若い頃に弓道をやってたときの写真。台東区は弓道にものすごく昔から熱心で、区議会議員にしても何にしても好きな人が多かったんですよ。この弓道場があったのは今戸のリバーサイドスポーツセンターのところで、今はビルの5階か6階に入っているけれど、この写真はちゃんと下にあった頃だね。

うちのお客さんにね、台東区の弓道場で先生をやっていた6段だか7段だか知らないけどとにかく弓道場の親分をやっていたおじちゃんがいたの。それで誘われてやるようになったんですよ。母親の早田マサは、女学校の時に弓道をやっていたのよ。国体に出たんだけど予備選手だったの。だからやれやれみたいな感じでね。

弓も矢も一式持ってたよ全部。弓はね、とても邪魔だよ。店を建て替えるときに階段の上の方の棚になんか邪魔なものがあるなと思ったら弓が出てきてね、捨てました。あの弓の強さだともう引けないもの。要するに一番最後の弓だからものすごい強い弓なんだけど、ひゅーうっと引けたわけ。最初は軽い弓じゃないと引けないんだけど、だんだん弓が強くなっていくの。3段4段になってくるとものすごい強い弓だから、普通の人には引けない。やってるうちに体が強くなってくるから、弱い弓だとピューゥってなっちゃうの。だから体にあわせて弓を取り替えていくの。

僕が一番最初にやったときには、おじいちゃんに「これは俺が若い時に使っていたやわらかい弓だから、これ使いなさい」って言われて弓をもらったわけ。子供用のバイオリンみたいなもの?そうそう。あれは体の大きさに合わせて変えていくじゃない。弓の場合は強さを変えていくの。うまくなるにつれて道具を変えないといけない。前に使っていた道具は、次の人に渡していくんだよね。道場に来ている爺さんたちとかね、面倒見たくてしょうがない人たちがいっぱいいるのよ。それが、若いのがくると嬉しくてしょうがないわけ。来たー、これやってみろぉってなって、良さそうだっていうことになったら、お前これを使ってみろってなって本当にくれるの。というのは自分たちはもう緩くて引けない。だからそれをくれるの。面白い世界ですよ。

でね、2段とか3段になると自分の弓が欲しくなるわけよ。それで「ここへいくと作ってくれる」って教えてもらうの。台東区に弓を作っているお家が何軒かあるんだよね。そこにいくと、ぐぅ〜ってやる機械があるのよ。それで弓を引く力が何キロって出てくるの。それであんたは何キロだっていうんでそれに合わせて弓を作ってくれるの。それが自分の弓になるんだけど、びっくりするほど高い。もう「高っ!そんなにするの!?」って感じで、僕の最後の弓はたぶん25万か30万くらいしてますよ。面白い世界ですよ。でもね、その弓だとね、グゥ〜ってやるとパン! スターン!って当たるの。ピャーって行ってね。弓って不思議なんだけど弱いとピュインてなるんだけど、強いのをグゥーてやっるとショッ!っていくわけよ。

台東区には結構弓道場があるから、赤穂浪士を偲ぶ討ち入り射会とか季節によっていろんな射会があって俺も一回行ったけどね。当たると、お蕎麦をくれるの。もりそば食って帰るの。当たんなきゃダメなんだけどね。2本のうち1本でも当たんないとダメなのね。ハズレだとごめんって言って帰るんだけど、当たると「は〜い、どうぞ!」ってお蕎麦をくれるの(笑)。上野の弓道場でやるんですよ。いまも上野や浅草界隈で弓を持ってうろうろしている若い人とか学生さんとかがいるよ。あんなに長いもの持っているんだからすぐわかるよ。