早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第七十一回 三社祭とお神輿

町会のお神輿を担ぐ(1967) 町会のお神輿を担ぐ(1967)

浅草の祭りといえば三社祭だけど、コロナでずっとやめていたでしょ。去年はお試しっていう感じで復活したけど今年(2024)はコロナ前より盛り上がると思うよ。お祭りの初日にはね、お神輿と関係なしにお囃子がね、すっごい勢いで町内をぶわーっと回るのよ。お囃子をやっているのは町内の人で、孫のかなみもね、ちっちゃな太鼓をトントコトントコやって練習してますよ。

うちのお母さんが町会の婦人部長なんだけど、お囃子の練習している町会事務所の稽古場を開けて練習の様子を見てあげて8時半過ぎになったら閉めてあげて全部やってあげなきゃいけないの。それが毎週水曜だから、この時期は水曜日に取材は受けられないんだよ。

浅草の人は三社祭をすっごく楽しみにしているけれど、俺はお神輿は昔っから担がない。この写真は確か高校のときにウチの前だけ担いでいるところですよ。まだこれは横の方でしょ。他の連中は一番前の花棒っていう長くて目立つところを自分の家の前だけわずか10mくらいだけだけど担ぐやつがいっぱいいたもの。それで手ぇあげて写真撮ってもらってOK!みたいな。それを順繰りにやるんだよ。

でもね、弟のセイジは本気で担いでいたんだよ。朝の宮出しでね、コンクリの門があるじゃない、あそこにお神輿がガーン!って当たっちゃったわけ。その間にいたんだよ。それで背中じゅう血だらけで、いまだにシミみたいに跡が残ってるよ。俺はそんなの嫌いだから行かないけどね。だってお神輿って重いんだもの。俺って背が高いから結局何でもかんでも俺が担ぐことになるの。それで他の連中はぶら下がって騒いでいるんだもの。昔から体のでかいやつは得しないの。

お神輿なんて大っ嫌いだったね。痛いし体に負担がかかるし意味ねぇし。そんでほら、もともと親父がキリスト教の救世軍にいたから、僕もクリスチャンとして日曜になれば日曜学校でもって小学生の子供たちにいろいろ教えたりしていたもんだから、本来はいけないんですよ。おみこし担ぐなんてやっちゃいけないことかって? もちろんですよ。基本的にはクリスチャンがお神輿を担ぐわけがないんだけど、おれは浅草の人間だからしょうがないじゃない。そんな風に見えないかもしれないけれど、この写真のときはしょうがなかったの。

親父だってお神輿なんてもちろん担がないですよ、救世軍人だから。社会部長さんだもん。だから三社祭には参加していないけれど、もちろん提灯を飾るとか、いわゆる寄付はちゃんとしてますよ。でも祭りそのものには参加してないの。だからウチの親は結構大変だったと思うよ。おれがお神輿を担ぐのも、しょうがないな行っておいでという感じでしたよ。