早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第五十七回 ニコンのY田君とペンタコン6

Y田君の得意だったカメラ(1993) Y田君の得意だったカメラ(1993)

もう、ステッパーのY田君のこと知っている人はあんまりいないけど僕の三番目の弟子だったんだよ。ステッパーっていうのは半導体を作るのに写真の引き伸ばしの逆みたいな感じでギューっと縮小して回路を焼き付ける機械です。Y田君はニコンでステッパーの設計をしている技術者だったの。

ニコンの技術者だったら誰でも僕みたいにクラシカルカメラの修理ができるかといえば、できないよ。たとえばニコンの後藤さんが戦前のコンタックスを分解して修理できるはずない。それで当たり前なんですよ、だって電子回路が専門の人なんだから。でもY田君は違ったんだよね。カメラ部門でもないのに修理できるって相当の切れ者だったろうって? それはもうすごかったよ。

きっかけはね、僕が修理していると「見せてください!」って来るようになっちゃったわけよ。僕はね、修理している時に誰が見ていたって平気なわけ。そのうちに「どうしても教えてください」って始まるわけよ。結局Y田くんにカメラの修理を教えるようになったの。「じゃあこのカメラやってごらん」って渡して、開け方を教えたりなんかすると、ウワァッとできてくるんですよ。

彼が35歳ごろの1年半。短いですよ。ちょっと教えただけで、すっ、すぅーっと全部頭の中に入っちゃうの。だから本当に教えるのも楽よ。レンズシャッターのカメラとかライカなんかも普通に直せたんだけど、同じフォーカルプレーンシャッターでもライカとは全然違う構造のペンタコン6が気になったんだろうね。

彼はね、非常にきちんと直せないといけないという性格の人間なので、1台のカメラについて徹底的に調べてやってくる。だから俺の弟子の中でペンタコン6を完全に理解しているのはY田君だけ。なんとなくではなく、ここをこうすればこうなります。ここをああすればこうなります。ということを全部理解してきた。もうすごいと思いますよ。俺ら修理屋と言いながら、ここをこう緩めてこうなったらね、何がどうなるとか全ての仕組みを論理的に説明できるかといえばそうじゃないの。

だけど吉田君はペンタコン6に関して、ここの部分をぐるっとやるとシャッター速度の高速シャッターが変わるんですよと。そこを調整する。で、ここのところのネジを緩めるとスローシャッターが変わるんですよということを全部トータルで分かっているのはすごいなと思ったよ。こいつ、すごいやつだなと思ったもん。で、その後に看護師をやっている奥さんが「申し訳ないけれど、Y田には言っていないけれど彼はガンです。だから無理をさせないでいただきたい」って言ってきたの。

だから修理するカメラは今はないよって。でも修理するカメラを自分で探してきて布団の中から分からないところを電話で聞いてきたりして、奥さんに隠れてやってたんだよね。そもそもニコンのステッパーの技術者なんだから、そんなことやってる場合じゃないと俺は思うんだけどね。本人に告知してないからニコンも知らなかったと思うけど、どうしても彼じゃないとできないからアメリカに出張に行かせちゃうのよね。あれから帰ってきてぐぅーっと悪くなったな。

それからしばらくしてね、ニコンの人から訃報を受けたの。彼は東工大を出てニコンに勤めてたんだよ。頭のいいやつは早く死ぬって? 俺は死なない、大丈夫。俺はバカだから。健康の秘訣はバカであることだよ。悩みなんて全然ないもの。