早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第四十三回 千葉ちゃんに捧ぐ(その2)

ロンドンのレストランNOTOで(1995) ロンドンのレストランNOTOで(1995)

ロンドンで高木さんがやってる日本食レストランを紹介してくれたのはチバちゃんで、これはそこで食事している時の写真。高木さんはイギリスの日本料理の始祖みたいの人で、彼の店の料理は本当に美味しいんだよね。その当時、ロンドンで他の日本料理店に入ると涙が出るくらいまずかったんだけど、高木さんのところは別格だったの。ワインもいいものを置いていたんだよ。

それでね、ベアー・スターンズのロンドン支店にチバちゃんは勤めていたって言ったでしょ。そのあと彼はフランスのクレディ・リヨネの投資銀行部門に引っこ抜かれて勤めることになるのよ。要するに日本のすごい金持ちを相手にするとき日本語しかわからない人もいるわけ。そこで日本語のわかるチバちゃんが間に入って投資させたりとか、いろんなことを全部やっていたんだって。だから年収もすごかったんだよ、ほとんど飲んじゃっていたみたいだけどね(笑)。

チバちゃんはパリに1年ほどいたんじゃないかな。あいつらおかしい!とか言ってなんだか知らないけど辞めちゃったの。そのあとにクレディはいい会社だって言うからどうしたのって聞いたら退職金をくれたって(笑)。それで東京に戻ってきて、シンガポールにあるすごい大きな会社に勤めて、東洋一の観覧車のある大きなプロジェクトをやるからって日本の企業にどうですかって声をかけていたんだけど、それがパァになっちゃったのね。この仕事が成功したら1億円もらえるから、そうしたら早田カメラにあるカメラを全部買うからって言ってたんだけど、頓挫しちゃったんだよ。だからウチからはあんまりカメラを買ってないの。

チバちゃんはカメラやレンズが大好きだったけど、まぁ、コレクターとしては一流じゃなかったね。ライカも持っていたけれど、びっくりするほどは持っていなかった。それより1番のコレクションはアルパで、ほとんどのモデルを持っていたと思う。ロンドンやパリで具合の悪くなったアルパを発見して、それで直してもらいたいって持ってくるんだよ。アルパを直せるのはウチぐらいだったからね。基本的に早田カメラでは売ったカメラしか修理しないんだけど、特別にやってあげていたの。林大使を紹介してもらったし、いろんな意味でチバちゃんに世話になっていたからね。