早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第七十四回 ライカ1台、家1軒は本当か?

東京・世田谷の不動産屋さん(1957) 東京・世田谷の不動産屋さん(1957)

この写真はね、アサヒカメラで昭和32年ごろの東京都っていう記事に世田谷の不動産屋さんの写真が載っていたから店先の部分だけ自分で複写してみたの。それを大きくしてみたら、すごい金額なんでびっくりしたのよ。ほら、大岡山40坪二階屋で庭付き25万円だって。安いよねぇ。まぁ、その頃の大岡山なんて田んぼや畑ばっかりの田舎だったのね。その写真も載ってたよ。それでね、その当時のライカM3の値段が28万円だったのよ。世田谷の方で一軒家が25万円で買える時代にM3は28万円。てことは今なら数千万円の感覚と一緒だったってことかな。

昭和29年にライカM3は出るんだけど、その時には日本に来てないの。日本に品物が入って来たのは昭和30年前後で、最初はヨーロッパで売られていたの。だから昭和30年か31年頃に初めて値段というものを付けるようになったんだけど、あまりに高くてすごかったんですよ。

この不動産屋の写真は昭和32年だからライカM3が出て3年経っているのね。“ライカ一台、家一軒”っていうのは大袈裟な話だと言われたりするけれど、この時点では本当ですよ。だからM3を買える人ってそんなにいなかったから、発売してから3年未満は日本ではM3ってそんなに沢山売れてないんですよ。だって買えないもん、何千万に近いわけだから。買える人っていうのはお国の予算とか、いろんな所とか、超大金持ちになっちゃうわけよね。何か悪いことしてる人?そういう人もいたかもしれない。それにしてもすごいんですよ。

当然ながら東京オリンピックを控えた昭和38年頃にはどうなっているかというと不動産がものすごく上がっていて、25万じゃなくて50万とか70万とかになっているのね。不動産は上がって、M3の方は相変わらず28万円なの。だからカメラの金額を当時の金銭感覚で説明するのって難しいんだよね。28万円っていうのはズミクロンの50ミリのF2がついた値段。それはね、シュミットのカタログとか当時のものを見れば分かりますよ。で、どっちを買っておけばよかったかって?そりゃ土地ですよ。

でもね、80歳とか90歳のお爺さんとかが20歳とか30歳のバリバリ現役の頃にライカを買いたいと思っても一生買えないと思っていたわけよ。それが30年後50年後にM3が15万とか20万とか30万だったら『こんな値段じゃあり得ない!』って買っちゃうわけよね。だからキ○ガイみたいに買っているの、日本のお爺さんたちは。これはもう、どうしようもないのね。絶対これは一生買えないと思っていたカメラが買えるようになっちゃったわけじゃない。だからしょうがないよね。