早田カメラ史 『懐かしの1枚』

第五十回 伝説のミニコミ「早川通信」

早川通信(1996〜) 早川通信(1996〜)

今日は早川通信の話が聞きたいって? あれはね、俺がこんなのを作りたいって言い出したんじゃないの。店によく来てくれていたお客さんにアニメの監督さんか何かをやっているY口君っていうのがいてね、彼はね、デッケルマウントの交換レンズとカメラが大好きだったの。それとフツーラとかオペマとかが大好きだったお坊さんのT田君と、フォクトレンダーのカメラが大好きで本まで出すことになったS木君の3人が作ったようなものなの。彼らが「こんなことやりたい」って言ってきたから、まぁ、そんなにやりたければ別にOKだよって感じで、それが早川通信の始まりなの。

それでね、第1号の目玉はカメラショーの攻略マップだったの。中古カメラ市ってデパートの催事場にいろんなカメラ屋が集まるんだけれど、どの場所でやるかは抽選なんですよ。だから、お客さんにしてみると、いつものところに知っている店があるわけじゃないの。それで攻略マップを作って配ったのが始まり。これがあれば会場に入ってどこにどの店が出ているかわかる。これを初めて配ったのは1996年の松屋銀座のカメラショーです。

第2号の攻略マップには、会場内に『一服ゾーン』って灰皿の置いてある場所も書いてある。あの頃はどこでもタバコが吸い放題だったからね。それで、第4号から攻略マップがなくなるの。カメラショーの主催者が地図を作るようになったんだね。「今回は会場マップが別に用意してあるので、その辺でもらってね」って書いてある。こうして今では主催者が会場案内図を出すようになったんだけど、それを初めて早川通信がやったことには歴史的な意義があるんですよ。

たしか1号目は、コピー用紙だったんじゃないかな。そのあとS木君が安い印刷所を探してきてくれて、その印刷費はこっちが出すの。だからギリギリでやっていけたんだね。安く印刷してもらっているから折られていなくて、全部で6ページとか8ページだから、2つに折って中に入れないとといけなかったの。デパートにカメラを搬入して、あれこれ並べながらその合間に手分けして早川通信を折って束ねて忙しかったんですよ。

早川通信って何か名前がおかしいって? その理由は第2号に出ているんだけど、カメラ雑誌の取材で赤瀬川原平さんに立ち合ってもらってカメラをバラバラにして、それを記事にするっていうのがあったの。もちろんカメラをバラバラにしたのは私です。その雑誌が早川通信を出す数ヶ月前に出たんだけれど、「早田カメラの早川店長」って書いてあったの。誰なんだこれって(笑)。結構大きな文字なんだけど、誰も気づかなかったんだよ。それをS木君が見つけて面白い!ってことになったの。早川なんてヤツはいねぇって(笑)。笑えちゃったんで今度出すのは早田通信じゃなくて早川通信にしますって。それで、こっちはお任せしますと。一回こっきりだと思っていたから早田でも早川でも何でもどうぞって感じだったの。それが、こんなに続くとは思ってなかったもん。